テーブルには二つのマグカップが置かれていた。
赤いマグカップと青いマグカップだ。
赤いマグカップには毒が入っていて、被害者はそれを飲んで死んだ。
青いマグカップを利用した人物が犯人、と警察は考えていた。少なくとも神津刑事はそう考えていた。
被害者は二十七歳の女。その日、たまたま訪ねた友人がテーブルでうつぶせに倒れている被害者を発見した。
その翌日には青いマグカップを利用した人物が判明した。沖田浩二。被害者の恋人でアパートを頻繁に訪れていた。
事件当日にも被害者の部屋にきていた。死亡時刻には別の場所にいたというが、第三者によるアリバイ証言はない。
青いマグカップは沖田のために用意されたもので、友人の話によると、被害者が他の人間にそれを出すことはなかったそうだ。
「どうもこれは痴情のもつれって奴だね。沖田は被害者と別れたがっていたんだが、なかなか応じてくれなかったようだよ。沖田は被害者の存在がうっとうしくなり、勢い余って殺してしまった。そんなところだろう」
「毒を使って殺しておいて、アリバイも作らない。使ったカップにはご丁寧にも指紋とDNA。まぬけすぎない?」
「君が言うとおり、まぬけだったんだ。おかげで簡単に逮捕できた。いつもこうだと助かるんだけどね」
私の皮肉に神津刑事は屈託なく答えた。沖田が犯人であることをまったく疑っていないようだ。
通路で話し込んでいた私たちの方に、取調室の方から男が歩いてきた。警官の付き添い付きだ。右手に包帯を巻いていた。そのまま私たちの横を通り過ぎた。
「今のが沖田浩二?」
「そうだよ」
私の質問に神津刑事が端的に答えた。
「わざわざ聞く必要はないと思うんだけど念のため。青いマグカップに付いていた指紋って右手? それとも左手?」
「どういう意味?」
「…………」
私が呆れて黙って数秒後、やっと私の言わんとすることがわかったらしく、神津刑事は鑑識に聞きに走った。
結果、青いマグカップについていたのは右手の指紋。
ついでにいうと、沖田が右手を怪我したのは事件の二日前。
「怪我をして使えなかったはずの右手の指紋がマグカップに付いていたのはなぜ?」
「それは――」
「真犯人が事件前に沖田が使用したマグカップを洗わずに取っておいたからよ。だから指紋もDNAも採取できた」
「それで?」
「そんなことができるのは誰だと思う?」
「沖田か! ……あ、でも、どうして――?」
「被害者自身よ」
「なんだって? 動機は?」
「それを調べるのは警察の仕事。じゃあね」
私は神津刑事に背を向けると署の外に向かった。
「……事件解決も警察の仕事なんだが」
背後で神津刑事が戸惑ったようにつぶやいた。
まったく、またつまらない事件を解決してしまった。その上、動機の解明までなんて勘弁してほしい。
神津刑事のつぶやきを振り払うように私は後ろ頭をかいた。
現行犯逮捕した犯人を警察に届けると、たまたまばったり通路で神津刑事と出くわしたのが運の尽きだった。
帰り道、くれぐれも事件に遭遇しないことを願いながら、私は歩いた。
名探偵コナツ 第8話
江戸川乱歩類別トリック集成⑧
【第一】犯人(又は被害者)の人間に関するトリック
(A)一人二役
(4)犯人と被害者と同一人
【ロ】後に記す「他殺に見せかけた自殺」とは少し違ったもので、自ら傷つけ、又は自ら服毒して、外部からは他殺又は殺人未遂と見えるもの。
※鬼熊自身は「他殺に見せかけた自殺」とこのトリックがどう違うかまったくわかりません。わかる方がいらっしゃいましたら、コメントにてご指導の方よろしくお願いいたします。
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