左右に民家の建ち並ぶ道を歩いていると、人だかりが目に入った。その隙間から民家の駐車場に止まっているパトカーが見えた。
私は通り過ぎようとしたが、人だかりを尻目にしたところで気分が悪くなってその場に座り込んでしまった。あーだめだ、放っておけない。
立ち上がった私は人垣を避けてその敷地内に入ると、玄関のチャイムを鳴らした。出てきたのは顔見知りだった。
「小夏君。また君か」
「午前中ぶりね、神津刑事」
会うなり嫌味を言ってくる神津刑事と言葉を交わした。
私が小学四年生の時、父の命令で少年探偵団を結成した頃くらいからの付き合いだ。そのときはまだ交番勤務だった。
神津刑事は部外者の私にぺらぺらと事件のことを喋った。その方が仕事が早く片づくと経験的に知っているのだ。
被害者は、東山美耶子。
三十六歳。
主婦。
夫と小五の息子、小一の娘との四人家族。
現在、夫は職場からこちらに向かっているが、後一時間はかかるらしい。
発見時、被害者は自宅のリビングにうつぶせで倒れていた。凶器は床に置かれていた花瓶。花瓶からは誰の指紋も発見されていない。犯人によって拭き取られたようだ。
犯行推定時刻は午後四時から午後四時二十分。
私は神津刑事の案内でリビングにやってきた。被害者は病院へ搬送中だが、床にわずかに血の痕があった。
神津刑事はスマホで被害者の発見時の画像を見せてくれた。救急車よりパトカーの方が速く到着したので撮影が可能だったのだ。
被害者はサングラスにマスクをしていた。花粉症なのだろうか? 服装はワンピースに薄手のカーディガンとありきたりなものだった。
容疑者は二人。
一人目は、小五の息子・義男のママ友、遠藤由香里。
二人目は、小一の娘・博弓のママ友、原敬子。
その二人は他の刑事と話をしている。背後関係を詳しく調べたわけではないが、近所にいたので神津刑事の中では一応容疑者ということらしい。似たような髪型に、似たような背格好だ。画像で見た限り、被害者も似たような感じだった。
「さっさと警察に連れて行って取り調べればいいのに」
私は部屋の隅で神津刑事に囁いた。
「それが、二人にはアリバイがあるんだ」
神津刑事によると、犯行推定時刻の午後四時から午後四時二十分の間、遠藤由香里と原敬子の二人は八百屋の前で口論していたのだ。もちろん八百屋の主人が目撃者だ。
「ちょっと待って。なんで死亡推定時刻が午後四時から四時二十分なんて正確なの?」
「八百屋の主人が、午後四時ちょっと前に被害者を目撃していて、学校から帰ってきた息子の義男君が死体を発見して救急車と警察に通報したのが午後四時二十分だからだよ」
「その間にママ友二人は口論してたのね?」
「そうだ」
「被害者の東山さんはいつもサングラスとマスクをしていたの?」
「それが、人によってそれぞれ証言が違うんだ。しているという人もいればしていないという人もいて、ママ友二人の意見も割れていた。ただ、日常的にサングラスとマスクをすることはあったようだよ」
「そう。簡単なトリックね」
私がそう言うと、神津刑事は眉根を寄せた。
「簡単ではないだろ……?」
「簡単よ。犯人は四時前に被害者を襲ってから、サングラスとマスクで被害者に変装して八百屋の前を通った。その後、変装を解いて何気ない風を装って相手と口論を始めた」
「変装なんて、推理小説じゃあるまいし」
「じゃあ、この家の前、一本道だけど、その八百屋ってここから数軒先の店よね?」
「……そうだ」
「一本道だけど、八百屋の主人は家に戻っていく被害者を見たの?」
「見たという証言は取れてないけど……」
「見てないからよ」
「一本道だからって見逃すことはあるし、別の道を通って戻ったのかもしれない」
「目撃されたのが午後四時ちょっと前で、その二十分以内には回り道をして家に戻って犯人に襲われないといけない。ずいぶん忙しいね」
「うう……」
神津刑事はしばらく呻いていたが、なんとか気を取り直して言った。
「アリバイトリックはわかった。じゃあ、どっちが犯人なんだ?」
「子どもは?」
「あ、わかんないんだ?」
神津刑事は子どもみたいなことを言い出した。私の推理を頼りにしているくせに、いざ謎解きをされると悔しいらしい。
「うるさいな。子どもに話を聞きたいんだけど、どこにいるの?」
「隣の部屋にいるよ。子ども部屋になってるんだ」
私はドアを開けると、その部屋に入った。
これまた顔見知りの刑事がいて、仰向けになって倒れていた。その上には小一の娘・博弓と思われる子がまたがっていた。
その子は私に興味を示し立ち上がった。刑事は身を起こすと、逃げるように部屋を出ていった。後は任せた、と私に言い残して。
博弓は私の正面に立つと、しゃがんだ。両膝を伸ばすと同時に両手を振り上げてスカートを盛大にめくった。ちょうどドアが開いて神津刑事が顔を出した。
「見に来たんですか?」
「いや、ち、違う。見てないから」
と顔を逸らす。でも目線はしっかりこちらを向いていた。小四からの付き合いだというのに変態だろうか?
「スカートめくり!」
また博弓はやった。
「……今度は見えなかった」
神津刑事は正直に言った。
博弓がまた私のスカートをめくろうとしたので、前蹴りでストッピングした。ちょうど足が鳩尾に入ったのかその場にうずくまって腹を押さえた。
「子ども相手に大人げない」
「アメリカだとカウンセリングを受けさせるレベルの奇行ですよ」
神津刑事の意見に対して、私は正論で答えた。
博弓が大きく口を開けて私に襲いかかってきた。噛みつく気だ。避けた。背後にいた神津刑事が手を噛まれた。ぎゃーと悲鳴を上げた。
「博弓!」
それまで椅子に座って静かに読書していた小五の息子・義男が怒鳴った。
「すみません。妹が乱暴して」
義男は傷跡をふーふーしている神津刑事に謝ると、
「ほら、お前も謝れ」
と義男が妹の頭を押さえた。
今度は博弓、義男の腕に噛みついた。
それから神津刑事のところにいくと、手をかばおうとするのを見て、噛まない噛まない、と優しく言って警戒を解いた後、じっくりとその歯形を見て、
「綺麗」
と言った。
私は傷跡をふーふーしている義男に声をかけた。
「あの娘、いつもああなの?」
「大体ああです」
「それともうひとつ聞きたいんだけど――」
私は義男の答えに満足した。
「犯人わかったよ」
小学生に鑑賞物にされている神津刑事に、私は言った。博弓は歯形をなぞってそのでこぼこを楽しんでいた。
「え、誰?」
「その前に確認ね。サングラスとマスクをしているときとしていないときの違い。それは何だと思う?」
「え、気分?」
「違う。娘の博弓と一緒にいるかいないかの違いよ」
「え? どういうこと?」
「博弓はあの通り、奇行が目立つ。一緒にいるのはすごく恥ずかしい。人は恥ずかしいときどうしたいと思う?」
「顔を隠したい?」
「そうよ。だからサングラスにマスクをしていた」
「なるほど……」
「息子の義男に聞いたけど、彼と一緒の時はサングラスもマスクもしていなかった。だから、息子のママ友である遠藤由香里は犯人から除外される」
「じゃあ、犯人は――」
「娘のママ友の原敬子よ。普段からサングラスにマスクの被害者を見慣れているから、変装に使えると思いついたのね」
その点を指摘すると、原敬子はすぐに自白を始めた。
東山美耶子も大事に至ることはなく、その日のうちに意識を取り戻し、翌日には退院したそうだ。
名探偵コナツ 第3話
江戸川乱歩類別トリック集成③
(A)一人二役
(1)犯人が被害者に化ける
【乙】犯行後に化けるもの
【イ】被害者を殺した後で犯人自身が被害者に化けて、まだ生きていたと見せかけてアリバイを作る。
参加中です↓