「ここのトイレマークってオシャレだね」
トイレ前を通りかかったとき、由乃が言った。
確かにそのトイレマークは独特だった。
だが、それをオシャレと感じるかどうかは人それぞれだ。私にはシンプルすぎて工夫が足りないように思えたし、マークの用途を成さないのではないかと危惧さえした。
ここは最近できたばかりのショッピングモールで、建物全体のデザインからしてシンプルだった。むき出しのコンクリート、暗めの照明など、引き算の美学という奴をあちこちから感じた。
目当ての店を回って一時間後、また同じトイレの前を通りかかると、騒ぎが起きていた。「違うんだ! そんなつもりじゃなかった!」
そう弁明する男が複数の女から袋だたきに遭っていた。
整った顔立ちではあるが、黒の短髪で好青年といった印象だが、真っ赤なジャケットを羽織っていた。赤みがかっているとかでなく原色の赤で、とても派手だ。見た目はともかくその行動から判断して、この男は悪趣味だ、と私は思った。
遠巻きに見ている人に事情を聞くと、男が女子トイレに入り、それを見とがめた一人の女性が大騒ぎすると、それに同調した複数人で殴る蹴るの暴力を男に対して加え始めたらしい。
「間違って入っただけなんだ!」
男は叫んだ。
「わざとらしい言い訳だよね」
由乃が呆れたように言った。
「間違えて入った可能性は否定できない」
「え?」
「見て。このトイレマーク。男子トイレの方は青で、女子トイレの方は赤。でも、形自体は同じ。色が同じだったら判別できない」
「でも、人ってとっさに形より色で判断するものだよね?」
「一般的にはね。そこの袋だたきに遭ってる人、一つ聞かせて」
私は袋だたきに遭っている男に声をかけた。
「え、何?」
「その服、素敵ね」
「あ、ありがとう。ごふ」
男は袋だたきに遭っている最中だ。
「何色かわかる?」
「さあ? 友達がプレゼントしてくれたものだから」
それがわからない理由にはならない。
「というわけよ」
と私は由乃に向き直り、その背中を押すと並んで歩き始めた。
由乃が確認するように聞く。
「つまり、あの人は色盲だったってこと?」
「そう。赤と青の区別がつかなかった」
「それだったら間違って入っちゃっても仕方ないよね。ところで――」
「何?」
「――助けなくていいの?」
「大丈夫。あの男、すべて急所はよけてる。ただ者じゃない」
「そういう問題?」
「急所を外せるほどの手練れなら、逃げようと思えばいつでも逃げられる。それでも逃げてないってことは、何か目的があるから」
「え、どんな?」
「たぶん――」
私は珍しく、ふつふつと怒りがわいてきていた。いろいろな事件に遭遇して、その多くは殺人事件だったりして、世の中にはいろいろな人がいるとわかってはいたが、まさかこんな奴がいるとは思わなかった。
「――あの状況を長く楽しむため」
「へ?」
さすがに由乃もびっくりだ。
「なんで?」
「世の中にはいろんな趣味を持った人がいるってこと。悪趣味も趣味のうちってことで納得するしかないでしょ」
私は自分に言い聞かせるようにして言った。
でもなぜこんなにも腹立たしいのか? あれだけの能力――複数の人間から暴行を受けているのに致命傷を避ける行動ができる能力を持っているのに、持っているからか? その能力をあんな悪趣味なことに使うことに腹が立っているのだ。