私は戸山宗司が住むアパート前にやってきた。スマホのメモ帳を見て、間違いなくそこが戸山のアパートだと確認してから、周辺での聞き込みを行った。
聞き込み相手は同じアパートの住人であったり近隣住民であったり、たまたまアパート前を歩いていた人だ。
1時間後、情報収集が充分できたことに満足し、私は戸山宗司が住む部屋のチャイムを鳴らした。
男がサンダルを突っかけて玄関に出てきて、左手でドアを支えた。私は顔を背けると、通路の端に行って深呼吸してからまた戻ってきた。
訝しげな顔をしている男に向かって私は尋ねた。
「田中一郎さんね?」
「は? 俺は戸山宗司だけど」
「違う。あなたは田中一郎。戸山宗司はあなたが殺した人の名前よ」
「は? 何言ってんだ、お前? 頭おかしいんじゃないか?」
田中一郎は怯えた目になって言った。私のことを怖がっているようだ。だが、その態度から私は自分の推理にますます確信を強めた。
「頭がおかしくなってるのはあなたよ。あなたは戸山宗司さんの部屋、つまりここで戸山宗司さんを殺した。だけど、あなたはそれをなかったことにしたいと思った。でも、戸山さんは死んでいる。なかったことにするには戸山さんを生き返らせなくてはならないと考えた。その方法はひとつしかない」
私の説明を聞いて、田中一郎はごくりと唾を飲み込んだ。
「あなた自身が戸山宗司を演じること」
「ば、バカバカしい。推理小説の読み過ぎじゃないのか」
田中一郎は鼻で笑うような口調で言ったが、動揺は隠しきれなかった。ドアを押さえていた手がずれて、みっともなくよろけた。
だが、しらばっくれているわけではなさそうだ。やはり田中一郎は本気で自分が戸山宗司だと思い込んでいる、と私は当たりをつけた。
「一ヶ月前に、頭を打ったか何かした?」
「なんでそれを……?」
「そのときのショックで記憶が混乱して、演技だったのが、本気で自分が戸山宗司だと思い込むようになった。周りの人も自分のことを戸山と呼ぶから余計にね」
「ホントにバカバカしい。何しに来たんだ、おまえ?」
「あなたは頭を打った直後、戸山宗司の実家に電話した。そのとき母親は息子じゃない人から息子の携帯で電話がかかってきたから不審に思った。その結果、私に依頼が舞い込んだのよ」
田中一郎は品定めするように私を見た。先ほどの動揺が治まり落ち着きを取り戻した。へらへらした笑顔さえ浮かべた。
私は十五歳だ。特別身長が高いわけでも大人びた見た目をしているわけでもない。確かに大人の男が敬意を払うような年格好ではなかった。
田中一郎は私をほんの小娘と侮っているのだ。
「警察じゃないだろ? 探偵でもない。こういう遊びが学校で流行ってるの?」
「うちの父が依頼を受けてくるの。そして、引き受けないと小遣いがもらえない。実に高校生らしい理由よ」
「金がほしいなら真面目にバイトしろ。子どもの遊びに付き合ってる暇はないんだ。さっさと帰れ。しっしっ」
「あなたは記憶喪失よ。自覚はあるでしょ?」
「うまく思い出せないことは多いが、戸山宗司なのは間違いない。そういうのは記憶喪失じゃなくて物忘れって言うんだ……」
「記憶喪失でなければ戸山宗司さんの実家に電話をかけたりなんてしない。記憶喪失になったあなたはアドレス帳の『実家』に電話をかけた。自分が何者かを知るために。だけど、そこに出た母親と名乗る声はあなたの記憶にある母親の声ではなかった。記憶は混乱していてもそれだけは直感的にわかった。だからすぐに電話を切った」
「でも、みんな俺を戸山さんって呼ぶ。ご近所の人はみんな」
「この一ヶ月、本来田中一郎であるあなたは、戸山宗司として認知されるために近所の人と積極的にコミュニケーションを取っていた。戸山宗司としてね。だけど、近所の人に聞いて回ったけどみんなあなたを戸山宗司とは思ってなかったよ」
「どういう意味だ?」
「戸山さんと呼ばれることはあっても戸山宗司と呼ばれることはないよね?」
「……そうだけど。普通、名字しか呼ばないだろ?」
「近所の人はあなたのこと、戸山宗司さんの兄だと思っていたみたいよ。一緒にアパートで暮らすようになったと思ってる。最近見かけないけど弟さんはどうしてますかって聞かれたことあるでしょ?」
「それは――」
恐らく都合の悪いことはすべて聞き流していたのだろう。自分が戸山宗司であることが最優先になっていた。そのことに不都合なやりとりは違和感を覚えても無視していた。
「俺が戸山宗司じゃないとしよう。だけど、なんで田中一郎だってわかるんだ?」
「戸山さんの母親に聞いたよ。田中一郎というボランティアの人が二ヶ月ほど前からアパートに引きこもっている戸山さんの世話をしてくれているって。そして不審な電話の後、一番戸山さんの現状に詳しいだろう田中さんに母親は電話した。でも、出ない。警察に電話しようと思ったけど戸山さんが以前トラブルを起こしていて相談しにくい。母親は半分寝たきりの状態で訪ねていく気力も体力もなかった。そこで近所に住んでいた私の父に相談した」
「でも、殺してなんか――」
「なんで死んだのか? 田中さんはボランティアをしてるぐらいだから優しくて責任感の強い人だと思う。もし戸山さんの死因が事故なり自殺ならさすがに警察に届けているはず。だけど、自分の不用意な発言が自殺の引き金になったり、誤って殺してしまったとしたらどうかな? その責任感が悪い方向に向かってしまったのかもしれない」
「そんなことは――」
「田中さん。あなたは今混乱してる。正常な状態じゃない」
「そんなことは――」
「この臭いに気づかない時点でそれはわかってた」
「そんなことは――臭い?」
「この臭いの中生活できるなんて、正常だったら無理よ」
アパートに近づいた時点で気づいていたが、田中がドアを開けてからその臭いは一層際立った。一度嗅いだら絶対に忘れられない、死体の臭いだ。
名探偵コナツ 第4話
江戸川乱歩類別トリック集成④
(A)一人二役
(1)犯人が被害者に化ける
【乙】犯行後に化けるもの
【ロ】犯人が被害者と入れ替わってしまう。殺した被害者に化けきってそのまま生活を続ける。
参加中です↓